第6話
『心の畑』
お釈迦さまが托鉢をされていた時のことです。
ある農家の人が畑仕事の仲間である人々に収穫物の果実をお裾(すそ)分けしていました。
お釈迦さまも収穫物を貰うために列に並ばれましたが、農家の人は言いました。
「私は畑仕事の仲間である人々に果実を配っているのです。貴方も果実が欲しいのなら、同じように畑を耕して種を播(ま)いてください」
お釈迦さまは答えられました。
「私も畑仕事をしております」
しかし、農家の人からしましたら、お釈迦さまが畑仕事をやっているようには見えませんでした。
「道具もなければ牛もいませんのに、どうやって畑を耕しているのですか?」
お釈迦さまは返事をする代わりに詩を詠(うた)われました。
「私にとっては信仰が種です。修行が雨です。智慧が軛(くびき)と鋤(すき)です。
恥じることが鋤棒(すきぼう)です。心が縛る縄です。
気を落ち着けることが鋤先(すきさき)と突棒(つきぼう)です。真実を守ることが草刈りです。
努力することが牛で、安穏(あんのん)の境地に運んでくれます。退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがありません。
心の畑が耕されれば果実がもたらされます。
それを食べればあらゆる苦悩から解き放たれます」
働くことは生きるためにとても大切です。
しかし、それだからこそ働くことに忙しく、どうして生きるのかがよく忘れられます。
そのことをお釈迦さまは畑仕事に喩(たと)えて説かれたのです。
真宗大谷派 唯徳寺